戦争への「澄んだいかり」 一橋大学・吉田裕先生最終講義

先々週のことですが、2月1日(土)、一橋大学兼松講堂で開催された吉田裕先生の最終講義に参加してきました。

吉田先生のご著作は大学時代によく拝読していたので、一橋OGではないんですが、この機会にぜひお話を聞いてみたくて。Twitterで「最終講義」の文字を見たときは「え!もうそんな時代?!」とすごいびっくり。時が経つのは早いものです。

当日はもうすぐ完成の旧国立駅舎の前をとおって・・・

緑ゆたかな一橋大学のなかの兼松講堂へ。

会場はOB・OGや研究者と思われるみなさんだけでなく、市井のかたがたも多数来場、広い講堂が人でいっぱいでした。

吉田先生のお話は「自分史の中の軍事史研究」という題で、幼少期から現在までの歩みをふりかえりながら、なぜ「戦場のリアル」というテーマに向かっていったのかという、非常に興味ぶかいものでした。

戦後当初の日本の歴史研究界では近現代史が軽視されるとともに、元兵士の研究者が多かったため、軍事史を探究すること自体が忌避されていた。それは軍事研究の促進を抑える効果はたしかにあったけれど、実際の戦場の悲惨さを知ることなく旧日本軍を賛美する風潮をゆるしてしまうことにもなった。

未曾有の惨禍を繰り返さないために、過去の戦争や旧軍のどこに問題があったのかを明かにするには、実際の戦場で兵士たちになにが起こったのか=「戦場のリアル」を明かにすることが必須である。そのような思いから旧日本兵の日記や文集などの調査に向かわれていった、というようなお話であったかと思います。

わたしが学生時代を過ごした2000年代には、日本軍=強い、すごいというより、食糧や物資の不足や人手不足といった過酷な闘いを強いられた、というイメージが書籍や報道でもかなりあった覚えがあるので、吉田先生、さかのぼれば藤原彰先生(『飢死(うえじに)した英霊たち』著者)の研究の成果が一般社会に広まっていたころだったのかもしれません。

2019年新書大賞に輝いたご著作『日本軍兵士ーアジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)。「異常に高率の餓死、30万人を超えた海没死、戦場での自殺・「処置」、特攻、劣悪化していく補充兵、靴に鮫皮まで使用した物資欠乏……。勇猛と語られる日本兵たちが、特異な軍事思想の下、凄惨な体験をせざるを得なかった現実を描く」と、帯を読んでいるだけでも胸が痛くなります。

さいご、吉田先生が仰られていたのは、自分の研究の根本には、やはり戦争へのいかりがある、しかし、歴史研究の役割は、そうした強い憤りを「澄んだいかり」に転換することである、ということでした。

この言葉はこころに沁み入りました。歴史が動くときというのは、強い感情や衝動に突き動かされることが多いし、そうしたエネルギーが必要なこともあるかもしれない。でも、それがときには歯止めが効かない暴走を生むことがある。

異なる立場・意見の人たちのあいだに共通のテーブルをつくってくれるのは、やはり、丹念に拾い上げたデータの蓄積から導かれる、だれの目からも根拠が明確な情報=歴史研究なのだと思いました。

講演ではそのほかに、元兵士の日記や文集などの膨大な資料をどのように保存・継承していくのか、という課題のお話も。

子ども、孫の代までならなんとか保管する気にもなるけど、もはや顔を見たこともないひまご世代になると、たしかにもはや“お荷物”にしか思えないだろうなぁ…

自治体などの博物館にも収蔵キャパに限りがあるとのこと。社会としてそれらの資料を保存するためには、次世代のためになぜ兵士たちの戦場体験の継承が必要か、その意味づけを伝えていくことが必要だと思いました。

うちの実家にもたくさん残ってる父方の祖父の陸軍時代の写真や思い出の品。いちおう昨夏にデジタル化はしておきました。でも、現物の素材とかにもほんとは重要な情報がたくさん詰まっているんですよね。

祖父はわたしが4歳のときに亡くなってしまったのですが、2・26事件に新兵としてなかば巻き込まれるかたちで参加し、その後、中国、小笠原に出征していたので、当時のことを聞けなかったのがとても残念。

近親の戦争体験を正面から見つめるのは、とてもむずかしい。でもそのステップを飛ばしてきたことが、日本という国にも、自分という存在のなかにもとても大きな空白を生んでいるように思えるし、逆に、祖父の体験を知ることでいままで解けなかった謎やわだかまりがいろいろほどけていきそうな予感がしています。

近いうちに軍歴証明書を取り寄せて祖父の歩んだ道をわたしもたどってみたいと考えています。

後列一番右が祖父