”魔法”がはたらくそのとき-『トランプ時代の魔術とオカルトパワー』監訳者・安田隆さんインタビュー

アメリカ合衆国第45代大統領選を皮切りに台頭したオルタナ右翼とポピュリズムの全世界的な隆盛。その裏に通底する西洋のオカルト・秘教潮流を精緻に論じた本書『トランプ時代のオカルトパワー』(ヒカルランド)の監訳者である安田隆さん(THE ARK COMPANY 代表)に本書の読みどころや気になるあれこれをインタビューしました!

ぜひご覧ください♪

Q1:本書の読みどころ

- 今回は長期間にわたる監訳、本当におつかれさまでした!本書を最初に読んでの第一印象や、とくに面白かった読みどころを教えてください。

第一印象は「難解だな」ですね。あと「よく翻訳されたなぁ」とも思いました。

一読者として読んだわけではなく、こういった本を読み込んできた方以外の、はじめて、このような本に接する人のことを心配しながら読みこんでいったので、読みどころは?と、問われたら、「とにかく、読破してください、読みどころだらけですから」と言うしかないような気がします。

もし、途中で息切れしてしまった方がいれば、原本にはなかった、思想や技法の流れの相関図を付けていただけたので、それを見ながら読み終えて欲しいと思っています。

-オカルトと政治、自己啓発哲学の系譜、魔術とインターネット、右翼と伝統主義などなど、さまざまな関心から読んでいただける一冊ですね! 

わたしは、パワーの本質や人生における“意味”の必要性から、グルやデマゴーグと信奉者たちの共依存を論じた部分(第3章「グルとデマゴーグ」)と、最後の部分の真の想像力についてのゲイリーの言葉が心に残りました。

Q2:魔術は本当に「効く」のか?

- 本書の冒頭で著者のゲイリー・ラックマン氏が投げかけた問いは「トランプを政権の座に送ったのは、果たしてオカルトのパワーだったのか?」ということでした。

先生は、魔術は実際に効力をもつと思われますか?また、実際にセラピーを実践されていて、心身相関性を実感されることはありますでしょうか?

トランプさんを大統領にしたのは「信念の魔術」のせいなのかもしれませんが、それを用いなくても、白人のフラストレーションを掬いあげ、うまくプロパガンダしていっても成立しそうなので、「信念の魔術」が「因」となって、その「果」として大統領になった、という印象は薄いですね。

伝統的なプロパガンダ+ネットのパワー、という構図の方が、私にはしっくりきますが、「信念の魔術」が、そういうプロセスを引き起こした、と、ご本人たちは思ってらっしゃるのかもしれません。

-それはたしかにそうかもしれませんね。

さて、魔術が効くか?

ということですが、これは、魔術的としかいいようのない成功例があり、それが、魔術以外の方法では達成できない と証明されねばならないので、私には答える資格も能力もないと、いわざるを得ません。

アメリカン・ドリームを達成した人々の多くは、信念の魔術的なことを仰いますが、それが信念の力なのか、才能なのか、運なのかは、誰にもわかりません。

でも、私がやっているセラピーの現場では、心神相関というか、思考が変わり、情動や、感じ方が変わることで、心理的な変化だけでなく、大きく人生が変わる方が少なからずおられます。

最近では、病を得て都会からうんと離れたところに住み、特技をいかした職業で生活できれば、という事案で来られた方は、ひょんなことで、家を格安で手にいれ、パートナーもでき、近隣の方との軋轢のストレスをクリアしているなかで、これまたひょんなことではじめたあるマイナーなスポーツを始め、そのトラブル相手の方の応援を得ながら楽しく頑張っていると、なんと日本代表に選ばれてしまった、という方がいらっしゃいます。

本来は今頃、スペインでの世界大会に行っているはずでしたが、コロナのために中止、まぼろしの日本代表におわりましたが、ご本人は、内心ほっとした、とのこと。

どこかで、望んでらしたのかもしれませんが、その競技で才能があることも知らず、強く望んでいたわけではないのに「現実は変化する」ということは、この方以外にもたくさんの例があり、その意味で、不思議はある、とは言えると思っています。

トランプさんの信念の魔術は、もともとは、アメリカン・メスメリズムで、当初は、病気治しが主で、つぎに、心の問題や対人関係に応用され、それが、能力の開花を経て、富や成功、栄光にも応用されていったわけですが、この構図は、明治時代に催眠術と共にはいってきて、霊術として日本化されたものの中にも、

「病を健に、争を和に、貧を富(栄光)に」

という形で見られ、先の、幻の日本代表の方も、病こそ得てからの来所でしたが、新天地で争いを解決し、パートナーを得、日本代表の座を射止める、という流れを見ると、これは、人として、自然なことなのかもしれません。

この方は、「目の前の現実」に対して、心の中で、つまり、具体的な行動をしないで現実という壁に挑み、現実に負けなくなった時(勝つのではなく負けない)に、「ひょん」とか「たまたま」という「偶発性」の連鎖により、これらの不思議体験をなさいました。

もしこれを、魔術的といってよいのなら、「現実→リアリティ」を内的な力で現実を無力化する、ということが魔術なのではないでしょうか?

これは、現実より小さかった自分が、その現実をものともしないくらい大きくなった、ということでもあり、大きくみると、この魔術的なことも、進化の中の一つの要素なのかもしれません。

Q3:ケイオス・マジックの対処法

- 本書ではニューソートの実践者、ある種の”魔術師”、デマゴーグなど、オカルトとパワーに関係するトランプ大統領のさまざまな側面が検討されました。

とんでも発言や混沌を弄する「ケイオス・マジシャン」(ダークサイド側の)っぽいリーダーって、トランプ以外にも国内外でけっこう見られますよね。かれらの”魔力”に巻き込まれないようにするためには?

えーと、私は新聞は読んでますが(見るだけのこともあり)、ネット見ないので、巻き込まれようがないので答えにくいですが、自分の中の、フラストレーションを自覚しておけば、つけいられることや、おどらされることは、かなり防げることだと思います。

劣等感や優越感の自覚もあってもよいですが、自分の中の「満たされないこと、満たされていないこと」がわかっていることが大切で、この中には、ざっくりいうと、劣等感も優越感も含まれているので、フラストレーションだけは押さえておくことをおすすめします。

-なるほどですね。みずからの内に反応するものがあるからこそ揺さぶられるという。また、もはや魔術以前の話ですが、シンプルに「SNSやネットの見過ぎには気をつけようね」っていうのもあるよなぁ、と思いました。

あと、お時間ある時に、次のことをちょこっとやってみてください。

内語(頭のなかだけ)で行います。

目は閉じてください。

で、

①「あらゆることに気がついている」
(と、ゆっくり三回唱え、感覚を味わう)
感覚はキープしたままで、

②「あらゆる価値観から自由である」
(と、ゆっくり三回唱え、感覚を味わう)
感覚はキープしたままで、

③「ある心地よさに満ち溢れている」
(と、ゆっくり三回唱え、感覚を味わう)

感覚はキープしたまま目をあけて、この三つの感覚を束ねたものを、「まるで~になったようだ」と表現しておきます。

まるで、光になったようだ
まるで、透明になったようだ

などなど。

これが、フラストレーションのない状態であり、脳がフルで働いている状態なので、これを思い出すだけで、いつでもフルになれますので、おためしください。

Q4:西洋魔術と東洋魔術の違い or 共通点

- 本書は政治世界と西洋の魔術や秘教伝統の関わりが主題です。その主要コンセプトは「現実は心を反映する」「心は現実に影響を与えることができる」であり、「望むことを現実化する」というのが大きなテーマとなっています。

東洋にも独自の魔術や秘教の伝統があるかと思いますが、西洋とだいぶ違っているんでしょうか?両者の差異や共通点などについて思うことがあればお聞かせください。(東洋といっても広いので、実にさまざまな流派があるかと思いますが・・・・・)

これは、私など遥かに及ばない専門知識のある方々にお尋ねした方がよいでしょうし、学術的な切り口、実践的な切り口によっても答えは違ってくると思いますが、現実化等を、ぶっちゃけ「現世利益」で括るとお話がしやすいですね。

洋の東西を問わず、現世利益をもたらす「呪 しゅ まじない」は、「されたい系」と「させたい系」に大別できます。

「されたい系」は、超自然的な存在や法則(を擬人化してりして)にお願いし、すがっていくもの系で、「させたい系」は、超自然的なものを使いこなそうとしたり、強制したりする系。

それぞれの世界観や、それぞれの世界のシステムが違うので、一見ややこしくみえますが、

それらの礎の上で、

見えない力に「依存 お願い」するタイプと、
見えない力を「強制 こきつかう」タイプがあるわけです。

(あとは、我関せず的にふるまうことで、超自然の目に留まるよう計らう というのもありますが、これは少数。でも、グル傾向が多大にある)

最近では、この礎を量子力学に求めるタイプが多く見られるようになりましたが、これも時代の必然に思えます。

だって、不確定なんですもんね、世界は。で、観察者がいること自体で確定するわけですから。

ここからすごいものか生まれるかも、ですね。

Q5:個人と全体との調和

- 本書では個人と全体、自分と他者の調和も大きなテーマとなっていたと感じました。

近代の個人主義はこれまでの慣習からの自由とともに過度な利己主義という弊害も生みました。そこで、想像上の超古代の理想的王政社会「シナルキー」などにオルタナティブな社会像を見出すトラディショナリズムのような動きが出てくることになりました。

全体性を個性の上に置くこうした動きには、正直、「それはやだなぁ~」という印象ですが、一方では、個々の利害を主張するだけではやがて国や社会が破滅するぞ、という見解にはたしかにうなずけるものも・・・・。個人と全体、どのように調和を図っていくのがよろしいのでしょうか?

これは、政府の在りようにもよりますし、個人が望む世界が1人1人違っているので、

理想の社会に向けて

というスタンスでなく、

「社会がどうあれ、私はこうだ」という、アイデンティティの持ち方を工夫するのがよいのではないでしょうか?

で、このアイデンティティですが、通常は、
「私は~だ」(I am~)
でもちますが、

そうではなく、

「私は~ではない」
とか、
「私は決して~な人間ではない」
という、「I am not~」
でもつのがコツです。

たとえば、「私は奥ゆかしい人間だ」というのは、本当に奥ゆかしい人は、口にできない言葉ですし(小澤:たしかに 笑)、今日一日、奥ゆかしかったかどうかは、他人によって奥ゆかしさの規定がちがったりして証明できないというか、評価が他人に委ねられてしまうのですね。

なので、

「私は決して厚かましい人間ではない、少なくともそれを心がけている」

という持ち方をすれば、今日一日、厚かましいことをしてないと思えたなら、それを自分自身に証明できるのですね。

「江戸っ子は粋でなければ」

ではなく、

「江戸っ子は、野暮でない」

みたいこと。

「私は~だ!」と断定すると、その思いは「遠心性」をもち、まわりにアピール的にひろがりますが、

「私は~ではない」という思いは、ほんとうだったかどうか、と確かめる行為も含めて「求心性」を持ちます。

このアイデンティティ(実際はオリジナリティ→特性に近い)の持ち方をすると、集団との関わりの中で、自分を見失うこともなく、日々の積み重ねの中で、ぶれない自尊心(鼻っ柱ではない)が確立していくと思います。

-うーん、なるほど、興味深いですね

自己啓発本なんかでは、よく「潜在意識は否定形が理解できないので、常に肯定系で願ったり、アファメーションをしたりしましょう」ということがいわれますが、それとは逆なんですね。

遠心性の「I am 〜」はそれぞれがアピールを飛ばしあって、いかにも周りとガンガンぶつかりそうですが、求心性の「I am not 〜」は自分を大事にしながらも他者と共存していける余白が生まれるような気がいたしました。

本書の最終章でも、ルドルフ・シュタイナーの黙示録講義から、「人間の内なる神性の基盤」である「わたし」(” I “)と他者とが集って形成する「自由で独立した自我たちの共同体」というシュタイナーのヴィジョンを紹介していますが、それに相通ずるものがありますね。

Q6:精神世界と音楽

著者のゲイリーは西洋秘教の研究家であるとともに、ロックグループ「ブロンディ」の創設ベーシスト。安田先生も東西のセラピー手法を研究・実践されながら「KENNEDY」のドラムスとしても活動されているという共通点がありますね

安田先生はどのような経緯でミュージシャンから精神世界への道に分け入っていかれたのですか?

ゲーリーと私では、月とすっぽんを通り越して、比較するのも不遜ではありますが、私がこういったことに足を踏み入れたのは、独学故のドラムに限界を感じ、さりとて、正統派の人にまったく魅力を感じられない中でもがいている中で、「気」という概念にヒントがあるような気がして、追究していったんですね。

でも、本来はドラムのことはドラムで解決すべきなのですが、にっちもさっちもいかなくなって、追い込まれた上での話なのですが、入った武道の世界は世界で、身体性の追究みたいなところがあって、そこでも浮きましたね。

私は、込み上げてくるものや浮かんだアイデアが、手足に直結する方法を「気」に求めたというか、淀みのない「自己表出」が望みだったわけですが、それを満たしてくれるものがなかったので、自分を実験材料にして研究していきました。

これも、大きくみれば、思考が現実化というより、現象となって現れる、ということになるのかもしれませんが、そんな意識はなかったですね。

毎日がトライ&エラーの連続でしたが、やがて、

思ったことがすぐできる
思いもよらなかったことが、なぜかできる、
相手のことが読めて、即応できる、

ということがなんとかできるようになってからは、幸せでしたね。

他にやることがないからドラムはやるけど、ようやくきもちよくやめられる、という感じになりました。

毎日がエキシビジョンみたいな感じ。本番でも練習みたいに臨める、みたいな。

これから学んだことは、

「自分を通してしかあらわれることのできないサムシングが、1人1人にある」

ということ
ですかね。

これは、本当にプライスレスなんです。

-初めて伺うお話でしたが、いまのご活動やこれまでのご著作の背景にそのような試行錯誤があられたと思うと、ほんとうに感慨深いですね…! お話しくださりありがとうございます。

Q7:読者のみなさまへのメッセージ

- 最後にひとこと、読者のみなさまへのメッセージをお願いします! 

この本を翻訳された小澤さんに、まず、お疲れ様、といわせてください。

そして、場違いかもしれない私を抜擢してくださったことにこの場を借りてお礼を述べさせてください。

このような本を読みなれ、読み込むことのできる読者のみなさまには、また、原書を読めるみなさまには、小澤さんの翻訳の凄さがおわかりになると思いますので、絶賛の拍手を!

また、このような本をはじめて読む読者のみなさまには、へとへとになりながら注釈をつけていった私の疲弊ぶりを想像して、笑っていただけたら幸いです。

本を読んでくださってありがとう!

この本が、今のあなたになにかをもたらし、明日のあなたの糧に、すこしでもなりますように。

ありがとうございました。

-ありがとうございます…(つД`)!

ものすごく張り切ってご依頼したわりに、遅々として進まない翻訳作業でまことご迷惑をおかけいたしました(´д` ;)トホ~

でも、東西の精神世界情報の宝庫である安田先生のお話はいつも実に面白く、ほんとうに楽しい制作期間となりました。監訳者解説でも触れていただきましたが、本書の射程外の東洋やシベリアの精神療法やシャーマニズムについても、ぜひお伺いしてみたいですね!

安田先生が主宰されている「THE ARK COMPANY」メンバーの皆様にも、注記の作成ほか編集段階において多大なるご協力を賜りました。謹んで御礼申し上げます。

ちなみに、来る6月7日(日)、THE ARK COMPANY で久しぶりに安田先生によるワークショップが開催されるそうです! テーマはなんとメスメリズムと催眠! 本書にも深く関わる内容ですので、ご関心のある方はぜひぜひチェックされてみてください♪

それでは、ここまでご高覧ありがとうございました! サラダバー

〈了〉

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●話し手
安田隆さん(本書監訳者)

1957年、兵庫県生まれ。THE ARK COMPANY代表。ミュージシャン(ドラマー)として活躍するかたわら、マインド・テクノロジー(NLP)、プロセス指向心理学(P.O.P.)、現代催眠など、西洋の様々な療法を研究し、東洋と西洋の叡智に共通する原理を発見する。95年、「THE ARK COMPANY ジ・アーク・カンパニー」設立。現在にいたるまで心・身・神を統合した独自の研究をすすめながら、世界中から相談に訪れる人々に「現代のシャーマン」として指導にあたっている。『波動干渉と波動共鳴』(たま出版)、『奇跡の技法 アルケミア』(ヒカルランド)、『ジェムレーション』(ともはつよし社)など著書多数。

[HP]THE ARK COMPANY

ヒカルランドからの既刊です★

●聞き手
小澤祥子(編集、訳者)

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